講談に紅涙絞る秋彼岸

f:id:yuyakereiko:20170923191112j:plain

新作講談 「哀しみの母子像」 神田香織

 緑公会堂で開催された「米軍ジェット機墜落事件40年メモリアル集会」に参加しました。午後1時~4時まででした。公会堂は満員で関心の深さを感じました。

オープニングは金子みすゞを歌う会の皆さんによるコーラス。金子みすゞの詩に大西進さんが曲をつけたそうです。おなじみの詩数曲と最後に大西さん作曲の「青い空は」

を会場の人々も一緒に合唱しました。

 ついでリレートーク、昨年なくなられた椎葉寅生さん(ジェット機墜落で自宅全焼

奥さんが全身火傷を負い、日本政府と米兵2名を相手に民事訴訟を闘い「安保に風穴を開ける」と言われる勝利判決を勝ち取った。)の事、フリーカメラマンの内藤嘉利(故人)の活動について、頑張れ!日本国憲法憲法劇に参加した2名の元気な女性のトーク、民医連平和学校の医師によるトーク、関守紀子弁護士のトークと繋ぎました。

 休憩の後、本日のお楽しみ、神田香織氏の講談「哀しみの母子像」でした。

40年前の9月27日のジェット機墜落の瞬間から、焼け落ちる家の中から子供を抱いて命からがら逃げ出場面熱を帯びた口調に手に汗を握る思い出引き込まれました。

子供二人と、母親は別々の病院へ運ばれました。三歳と一歳の男の子は「バイバイ」と翌朝までに亡くなってしまいました。母親には子供の死は知らされませんでした。子供のためにと、想像を絶する苦痛に耐えながらの闘病生活を送った和枝さん。善意の皮膚を移植して、かなり快復した頃、子供の死を知らされます。その事と、心理療法でご主人は厳しい役柄、父は優しい役、敵役の防衛施設庁には思っている事をぶつけるという設定になり、治療のためとは知らない和枝さんは夫の冷たい態度に疑心暗鬼になり、ついには離婚に至ります。防衛施設には苦情の電話をたびたびするようになり、病院からは退院を勧告されて結局精神病院へ入れられてしまいます。最後はのどの状態を悪くして管を通しているのですが、息苦しいのではずさないで欲しいと願っても管を抜かれて呼吸困難に陥り、誰にも看取られず窒息死してしまいました。場内のライトが消え真っ暗になると場内はしーんと静まりました。神田香織さんの鬼気迫る熱演に泪する人も。

 

 何という理不尽、こんなことがまかり通っていたとは。はじめて知りショックでした。

 40年前、友人達とお茶をしていて、異常な音を聞いて外へ出ると学校帰りの子供達が戦闘機が落ちたようだと言っていました。5,6年生だった長男が現場へ自転車で出かけて、緑色の飛行機の欠片を拾って来たことを思い出します。すぐ立ち入り禁止になったとも言っていました。

 事故後15分で自衛隊のヘリコプターが到着し、米兵2名を救助して去ったそうです。

現場はロープが張られ被害者さえも立ち入り禁止、補償交渉もままならなかったとか。

 現在も我が家の上空を時折轟音を上げて戦闘機らしい航空機が通過しています。

あの危なっかしいオスプレイも飛び交っているし、明日は我が身かもと不安になります。