道路にこぼれた朝顔の種が芽を出して、石垣を伝いフェンスにたどり着いて花を咲かせて、毎日何個咲いたよと主人が楽しみにしていました。
いつしか季節も晩秋になり、フェンスには朝顔の種がびっしりついています。殻が
割けてすでにこぼれているものもあります。道路に遅れて芽を出してようやく2輪咲いた朝顔も、しっかり二つ実をつけています。
植物はどんな環境にも適応して生命を全うするのですね。いやそれとも大丈夫そうだと察知して生えてくるのでしょうか。
先日向田邦子氏のエッセイをパラパラめくった時に、弁当の項があり、転校先で地元の女の子のおかずを食べさせて貰い、美味しいと言うと学校の帰りに家まで連れて行ってくれて、漬け物を取り出そうとして母親からとがめられ、東京から来た子が壺漬けを美味しいと言うから連れてきたというと、どんぶりに一杯壺漬けを入れて食べさせてくれたとか。
私にも弁当の思い出があります。小学校の低学年だったと思います。お昼に弁当を
取り出そうとしたら、何処にも見当たりませんでした。その日私は弁当が無くてどうしたのか思い出せませんが、後日お弁当を盗ったという子の父親が我が家に謝罪に来ました。時々我が家に顔を出す人でした。
その子の顔も名前も未だに覚えています。悔しかったとか憎いからとかではありません。その子の母親は継母だと言うことで、しかられては夜も軒先で寝かされるらしいと
聞いた事がありました。悪さをしてはお婆さんが近所に謝って歩くとも。
そのうち小児麻痺で片腕が不自由になり、担任が教室に不在の時など、多勢の生徒を
相手に喧嘩をして、表から教室に石を投げてガラスを割ったりもしました。
その後私は転校してこれらの事は忘れていましたが、何かの折に彼が少年院に入れられたと聞きました。
大人になってからはどうなったのでしょう。クラス会の時に聞く機会もなく消息はわかりません。きかん気な痩せた顔が思い浮かびます。私には弁当は盗られたけれど
意地悪をされたこともなく、そんなに悪い子には見えなかったのですが。
あのときの弁当にはしょうびき(塩鮭)が入っていたと思います。よそ目には我が家は裕福に見えていて、きっと美味しいおかずが入っていると思ったのでしょう。
美味しく食べてくれたかどうか、何故か気になります。