先立たれ饒舌な友余寒かな

           f:id:yuyakereiko:20180217194308j:plain

 友人宅へお線香を上げに行きたいと、午前中電話を入れると応答が無く、午後

昼寝をする習慣を知っているので、 オリンピックの男子フィギアの決勝の結果を見てから2時半過ぎに再び電話を入れる事に。

 

 日本中の期待の重さに打ち勝って、羽生結弦が金、宇野晶磨が銀という快挙を上げました。気を良くして、友人に電話をすると在宅で話に来てとの返事でした。

 

 Sさん宅のチャイムを鳴らしても返事が無く、変だなと思っていると庭の方に姿がありました。いままでご主人の仕事だった水遣りをしているところでした。

 しばらくぶりに会うSさんはだいぶ痩せた感じがしました。まず座敷の床の間にしつらえられた祭壇にお線香を上げました。遺影は満面の笑みで若々しくとても良い写真でした。本当に長い間、親しくお付き合いいただいてお世話になりました。

心でお礼やらご冥福を祈っている傍らでSさんはしきりに話しかけてきます。

 

 リビングに移ってお茶を頂きながら、亡くなられた状況を聞きました。ある日ご主人がお刺身が食べたいというので、早めに魚屋さんで買い求め早めの夕食を取った直後に

病院から来た男性達に抱えられて車で入院したと言います。(家から駐車場まで長い階段があるため。)

 

娘さんと主治医の間で相談してそろそろ入院して治療を始める事になったようでした。Sさんが心配するので詳しい話を聞かせてもらえていなかったようで、ご主人は肺がんが進行していて末期だったらしいのです。87歳のご主人は特に痛みを訴える事も無かったのでご夫婦共に夢にも肺がんに犯されているとは知らなかったようです。

 

 定期的に病院へ付き添っていた娘さん(看護師の資格を持っている。)は当然病気の事はわかっていても両親には伏せていたので、二人で穏やかな毎日を送っていたのでした。そのため、Sさんは何事も無く二人で食事をしていた現場から突然ご主人をさらわれた感じを受けたようです。

 

 あとで病院へ行くと赤いタラコのように(Sさんの受けた印象)ベッドに横たわり

眠っていて、いかにも重病人になっていたといいます。その後言葉を交わすこと無く

数日で無くなったのだとか。彼女には未だにご主人が亡くなった事が信じられないようでした。

 

東日本大震災で被災したご主人の親族の方々が大勢葬儀に上京された事や、お子さん方、お孫さんの事、と次から次と話されて中には同じ話が繰り返されて止めどなく

話をされました。今まで聞きつけて訪れた弔問客に粗相がないように言葉遣いに気を遣っていて、私に会ってようやく普通の話が出来たといって気の緩みが出たのでしょう。

 

 見た目はとても元気でしたが、饒舌ぶりにふと不安が過ぎりました。今まで同居の会社員の孫さん(男子)の食事の世話をしていましたが、まだ食事の支度をする気力がなさそうです。地方に住むご長男がゆくゆく同居してくれるそうなのでそれまでは

しばらく淋しい事でしょう。どうぞ体をこわしませんように。