間もなく新横浜駅という辺りで右手に「新横浜くらしの友葬祭場」の建物が見えました。地図で確認した通りでほっとしました。バスを降りて目的地へ後戻りすれば良いのだと見当をつけて進むと、行き止まりで、またまた後戻りで歩道橋を進みました。
歩道橋を降りて進むもまたまた行き止まり。ならば横浜線の高架下をくぐるのかと思っていると、そちらから来たマスクをした男性が通行中の女性に道を聞いています。「H君?」声をかけるとH君でした。女性の指さす方角に歩道橋が見えました。
どうも私達は建物の裏側に出たようです。駐車場かを通ってやっと入り口に着きました。会場は3階でした。後部の一般席で開式を待ちました。H君の話ではMさんは昨年末に不整脈が出たと言っていたそうです。今まで病気一つしない健康な人だったのに
信じられません。パッチワークが趣味で、以前頂いた手のひらほどのハワイアンキルト
のポーチは大変重宝していて、手芸用の道具類が収納できて何処へでも持ち歩いています。先月その事を話すととても喜んで又何かあげるねと言ってくれました。
初めて会った娘さんはお母さんに良く似ていてすぐ娘さんとわかりました。Mさんは子供の頃から目がとても綺麗な人で昔の面影は今もそのままで年を感じさせない人でした。遺影も優しく微笑んでいました。
お見送りした後H君と食事をしました。H君は民謡を習っていて大会の予選が近いのだけれどMさんの訃報を聞いてから歌うのを止めているそうです。前の大会では南部牛追い歌で6位入賞だったそうです。5位が2名だったので年齢の上の人が上位になったそうです。従兄弟でも異性ということもあってつきあいも薄い方だったので互いの事を
あまり知らないのです。
夕方H君から電話で、田舎の同期会の世話役のNさんに今日の事を伝えたら、Mさんの
亡くなった事を知っていたそうです。私が知りたかった田舎の事も聞いてくれていました。私が主人の事があって出かけられないと知って、面倒を見るから一緒につれておいでと言ってくれたそうです。その旨を主人に話して一緒に行くか聞いたところ「嫌だ」
とにべもない返事でした。