春愁や余白の多い古日記

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 昨日出先で車で通りかかった電気屋の若旦那に私の都合の悪い日を聞かれて、いついつと伝えておきました。その後月曜日の午後に台所を見に来ると連絡がありました。

 

 朝食後、不要な食器類を整理にかかりました。主人が独身時代に使っていた食器棚を

未だに使用していたので、引き戸のガラスの割れた所にテープが貼ってあったりして痛々しいと今更ながら物持ちの良いのにあきれもしました。

 

 きりがないので、明日のゴミに出す分だけにして、午前中で切り上げました。処分する物の中に弁当箱もいくつか入れました。

 昨日引き出しの底に見つけたケース入りの日記帳は子供達が高校生だった頃のものでした。物々しくケース入りの本が出て来たと思ったら日記帳だったので、自分の物なのに驚きました。随分と気合いを入れて記帳するつもりだったのでしょう。

 

 ページをめくると早朝にお弁当を作った下りがありました。高校には食堂があったはずですが、弁当を持たせていたようです。多いときは主人、長男、次男、私の分と4個の弁当を作っていました。それぞれが持ち帰る空き弁当を洗うのが面倒だったなと

思い出します。子供達が中学生の時も弁当を持たせました。当時は忙しさにかまけて

中学校の給食が無い事に疑問も持ちませんでした。

 

 60才過ぎて、横浜は中学校給食が無い数少ない市で有ることを知りました。一番住みたい所ベストテンで一位とか言われますが、越してきてから給食が無いのに驚いたという声を聞きます。いつになったら市長は耳を傾けるのでしょう。熱烈に弁当を作りたい母親が多いとの回答には耳を疑います。私のように黙々と弁当を作り続ける母親達は

したくてしているとも思えないのですが。

 

 ケースの立派な日記帳は、私の勤務先が遠くなり忙しさが増したためか、途絶えて

未記入のページが多く残されていました。