入れ替えの手提げの底に秋扇

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    お昼のバスで出かけるので、早めに昼食を取り、身支度をして、夏の間重宝した
レースの手提げを、そろそろ布製の物に変えようと入れ替えをしていて、底に扇子を見つけました。横になっていたので、欲しいと思ったときには見つからなかった物です。

 

 今頃と可笑しくなりましたが、天候不順でいつ必要になるかもと、リュックのポケットに移しました。もう15分したら出ようと思っているとチャイムが鳴りました。Hさんでした。打ち合わせた時間にバスが無いので、下のバス亭へ行きましょうと寄ってくれたのでした。

 

 休日は12時30分のバスは無いのだそうです。うっかりしました。下のバス亭のバスは直ぐに来ました下りて来た人達の中にYさんの顔がありました。笑顔で会釈しただけでバスに乗り込みました。

 暫く休んでいましたが来月から絵の教室に戻って来ると聞いていました。あざみに駅でTさんと一緒になり、山内地区センターで開催される「平和の集い」に行きました。
3階のホールには大勢集まっていました。開会前に、「うたごえ」の先生のギターにあわせて「白いブランコ」を唄いました。

開会の後も、白いブランコ、青い空は、青い山脈と三曲皆で大きな声で歌いました。

 

 41年前の9月29日に起きた米軍機墜落事故の現場に駆けつけた、消防隊員の話を聞きました。当時30才だったそうで、墜落で焼けた家は友人宅だったそうで、現場は黒焦げであったと言います。間もなく米軍によって現場から立ち去らされて見物するほかは無かったそうです。

 

 原水禁世界大会に出席した女子高校生の報告があり、若い人達が関心を持ってこれからの運動をになって行ってくれるようで頼もしく感じました。

 広島で13歳の時に被爆体験を中村雄子さんが語ってくれました。目撃した光景を自分で描いた絵をスクリーンに映しました。防火用水に群がる被災者、黒い雨など生々しい記憶を語ってくれました。また当時の広島の航空写真の説明では川下が白く移っているのは流れてきた死体が折り重なって白く写るのだと言っていました。ぞっとしました。

 

 休憩の後、映画「ザ・思いやり」思いやり予算に疑問を持った在日20年のリラン・バクレー氏の監督作品です。映写にはむかない普通の部屋なので大きなスクリーンはありましたが、前の人の陰から見るので字幕が見えなかったりで、想像で補いながらの鑑賞でした。

 

 面白かったのは、ロスアンゼルスで道行く人に、日本のことだとは伏せて、他国の軍隊を駐留させるのに住宅や家族の為の娯楽施設、学校、ゴルフ場、プール、事故を起こした際の弁償金などを国民の税金でまかなうとしたらどう思うか
と聞いていました。皆あきれて、そんな軍隊はいらないといい日本の事と知ると驚いていました。

 被災地の仮設住宅と基地内の豪華な住宅の差に、怒りを覚えました。日本人は知らない人が多いのではないかと思います。日本に44000人の米国軍人がいて、ひとり当たり約1500万円のおもいやり予算をあてているそうです。

 

夕方になると外気が下がって来たためかクーラーが効きすぎて体も気持ちも冷え込みました。