金木犀老いても嬉々と紅をさし

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 今朝は金木犀の香る、川和町駅からグリーンラインセンター南駅に行きました。

私の応援している党の後援会の街頭宣伝行動のお手伝いの為です。駅前広場に着くと気温が高くなって上着を脱いでも汗ばむ程でした。

 最初は日当たりの下でスローガンを書いたパネルを掲げていましたが、他の人に代わってもらってから、木陰でパンフレットを配る方にまわりました。

 まだ無関心な人が多いようでしたが、「安倍は絶対嫌だ」「頑張って!」と声を掛けてくれる人もいて力強く感じました。私達の7区は野党共闘の候補者を立てることが出来て希望の党小池百合子党首の踏み絵を拒んで立憲民主党に入った「中谷一馬氏」を応援します。

 昼はU田さんM崎と「もぐもぐ」でパンと珈琲で軽く食事を取りました。私が口紅を直そうと携帯の鏡付き紅入れを出しシャネルのマークの入った口紅を見せてかなり年数の経った物だというと、U田さんに一年以内に使い切らないと駄目と注意されました。

 とんでもない、いつ姉から貰ったかさえ忘れた代物です。鈍感な私の唇はそれでも

何ら異常はありません。そこからメークのプロのU田さんは眉墨で眉を描きアイシャドーをひき、ファンデーションで全体を仕上げてくれました。10歳は若返ったかも。

 次は仲町台の地区センターへ向かい、「いいね!7区市民の会」決起集会へ参加しました。7区を地盤としていた若林氏が自ら退いて、共闘の候補者に譲り18区に移ったと

説明があり、事務所開きの最中の時間を割いて中谷一馬候補が挨拶に駆けつけました。

 熱く政治に対する姿勢を語り好感が持てました。帰り際に私も握手をしました。

安倍政治をストップさせる好機なので頑張って欲しいと思います。

会場から中川駅の道筋にも金木犀が香っていました。

 

冬瓜や安達ヶ原の婆となる

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 昨日届いた産直野菜の中に冬瓜が入っていました。堅い皮のおかげでこのまま置いても冬までは持つらしいのですが、狭い台所の邪魔になるので、用途別に切り分けて冷凍する事にしました。

 まずは包丁の刃をこするだけの砥石で研いで、冬瓜に刃を立てました。それほど大きな冬瓜ではありませんが、渾身の力を込めて半分に切るのがやっとです。

 以前次男が私の包丁を見て刃が無いと言った事がありました。昔ながらの砥石でやたらと前後に研いでもそれで良いのかさえ解らずに、気休めに動かしているだけです。

果たして上手く研げたのかどうか。少し切れ味が良くなった気はしています。これでも

何十年も同じ包丁を使い続けていて、料理をしているのですから何の差し障りもありません。

 夜、思い出したように包丁を研ぐと、決まって安達ヶ原の鬼婆の言い伝えを思い出します。宿に泊めた妊婦の腹を割いて胎児の肝を取り出した、恐ろしい話です。しかもそれは昔別れた娘だったという哀れな落ちが付いています。

 生まれ故郷の昔話ですが、なんとも恐ろしい話です。なのに私と来たら白髪の自分が包丁を研ぐ図を茶化してしまいます。

 さて冬瓜は四分の一を味噌汁用に、もう四分の一は煮物用にジップロックに入れて冷凍しました。残りは鶏肉と共にコトコト煮て今晩のおかずにしました。とろりと柔らかく、薄味にしたのでスープも飲めて美味しく出来ました。

そぞろ寒紅い花鉢五つ買ふ

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 今日は食事会の例会で代わり映えしない店で食事をしました。以前は時々行く先を変えたのですが、ここしばらくは全く同じ場所になっています。と言うのもバス亭の真ん前なのです。店員さんも顔なじみになっていて、案内してくれる席もほぼ同じです。

 こたつ式のテーブルで、各席仕切られていて居心地も良く、談笑しながら食事が出来ます。ランチメニューの数は多くなく選ぶのも楽です。

 今日は肌寒いので暖かい物が良いと思いましたが、冷やしふのりそばと小丼を頼んでしまいました。のどごしの良い蕎麦と漁師飯の小丼に茶碗蒸しが付いて、美味しくて満足でした。Sさんは今日も不参加。今朝電話を入れたところ元気のない声で寝不足で疲れているとの事。ご主人が昼うとうとしていて夜になると元気になり、その相手をするのが大変なようです。我が家の主人も予備軍ですよと慰めにもならない返事をするしかなくて、ため息が出ます。

 いつもなら食後、甘味処へ移るのですが、私は雨模様が気になり皆と別れてスーパーに寄り食料品を少し仕入れてから、向かいの花屋で可愛い鉢植えの花を5つ買いました。帰宅後ビニールポットから空いている鉢に移し替えていると雨が降り出して、最後の一つはそのままにして家の中に退散しました。

 寒いので暖房を入れるという主人に一枚重ね着をさせて思いとどまらせました。

ついこの前まで冷房していたのが嘘のようです。

朝顔や地べた近くに遅れ花

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 道路と石垣の間の割れ目から芽を出した朝顔はフェンスにたどり着いて、上の方から花が咲いてどんどん下のほうまでつぼみが出来て毎日沢山の花を咲かせています。

 さすがにこの頃では数が少なくなって来ました。その脇に今年の種がこぼれて芽を出したのですが、一人前に蔓を出したと思ったら、なんと花をつけました。他に遅れても

懸命に花を咲かせて命を繋ごうとしています。

 どんなに遅くとも花は咲くのかと勇気をもらった気がします。

 定年後にやっと手にした自由時間を好きな事をやろうと、カルチャースクールで色鉛筆のボタニカルアートの手ほどきを受けて、講座が閉鎖になった後は現在の日本画の先生と出会って水彩日本画を続けています。その後縁あって入会した新婦人の会のサークルで、書道を始めました。この年ではもう上達は望めまいと、時間つぶしと仲間との交わりを楽しめば良いと気楽に過ごしていましたが、それなりに上達は可能なのかもと欲が出て来ました。

 今月の半ばには絵の展示会。その翌週は書道の展示会があります。今日は出展する絵を額に入れて、いつでも運び出せるように準備しました。書道の方はすでに先生が額装の手配をして下さっています。

 残暑も収まり朝晩は寒いくらいです。忙しくなるので体調に気を配らねばと思います。

十五夜やかすかに覚ゆ三味の音

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 今日は中秋の名月が見られると期待していたのですが、雲に隠れて見えません。

昨日かすかに見えた月を写しました。最近は街灯がLEDになって眩しくて、狭い道路から写すのは私には難しいです。

 月と言えば、幼い頃三味線を習わされて最初のお稽古は「お月さん幾つ、十三七つ

まだ年しゃ若いね~♪」というものでした。題名は何というのか覚えていません。

 大人の三味線は私の膝に乗らず足下に置いて弾いていました。今思えば母は自分がやりたかった事を代りに私に習わせたのかもしれません。母の思いは娘には通じず、三味線は続きませんでした。私は雑誌で見たバレエやピアノが習いたかったのですが。

 音楽の教科書の裏表紙の内側に付いていた描かれたピアノの鍵盤をたたいて弾いている気分になったものです。小学校の高学年の時音楽の先生にオルガンを教えてもらいました。講堂のピアノも弾かせてもらえました。学内の催しの時仲良しのIさんと連弾で

ドナウ川のさざ波」を弾いたのが懐かしい思い出です。中学校一年の時も音楽の先生が優しくバイエルの練習をみてくれました。1年で転校してからはピアノとは縁が切れてしまいました。

 でも何故か月を見れば「お月さんいくつ?」を口ずさむのです。

 

針箱に絡み合う糸綴れさせ

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 靴下の穴をかがろうと針箱を取り出しましたが、黒い木綿糸が見当たらず、針刺しの缶をあれかこれかと蓋を開けてみました。肝心の糸を見つける前に、加賀指ぬきをかがった時の絹糸に目が止まり、ついでに作りためた指ぬきを取り出して我ながらよく

かがった物と思い返しました。亡き母が着物の仕立てをしていたので、色々な色の絹糸

を生前にもらい受けていたので、指ぬきをかがるのにつかいました。本を便りに見よう見まねで作ったのでお世辞にも良い出来とは言えませんが、私なりに苦労して模様をかがったので愛着があります。時々スカーフリングとして利用します。いくつかプレゼントしたので、あまり残っていませんが、こうしてたまに眺めてはにんまりしています。

でも新たに作ろうとすると糸が足りないかもしれません。母が亡くなって二十数年経ちますが、まだ残り糸を見ては思い出に浸る事が出来ます。

 靴下の穴は塞ぐことなく、又の日に繰り延べにします。繕っても長くは持たないので

3足束で買った方がいいかな何て無精な考えも浮かびます。

芋を煮て同窓会の返事書く

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 産直野菜にこの秋初めての里芋が入っていました。泥を落として皮ごと茹でて冷めるのを待ってから皮を剥きました。大根、人参、ゴボウ、高野豆腐、椎茸と一緒に煮込み

夕餉の一品にしました。芋はねっとり柔らかくて美味しく頂きました。

 久しぶりに中学校の同窓会、同期会の案内の葉書が届きました。幹事さんの中には

見覚えの名前もありますが、顔までは思い出せません。

 会場は母校の体育館で会費は2000円。同期会は16時から飯田橋駅前の何とか・・・

母校は創立70周年とか。

 私は東北から中学2年生の時に転校してきたので、言葉のアクセントやなまりが出ると恥ずかしいので、必要以外は口を開かなかったと思います。授業でも解っていても

手も上げられませんでした。それでもいつしか溶け込んで結構楽しい学校生活でした。

 結婚前は何度か同期会に出席しましたが、担任の先生が亡くなられてからは一度も

出ていません。仲良しの友達も早くに亡くなったので尚更足が遠のきました。

 今回も欠席に○をつけました。