若き日の妻を呼ぶ君雛の宵

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 五十ン年前佐渡の荒海をフェリーに揺られて渡り、主人の実家近くの宿に泊まったのが3月2日。翌日は町営の施設で結婚式を挙げました。昔に比べて簡略されたらしいものの、謡曲高砂や~この浦舟に帆を上げて~と親族の一人が朗々と唄いあげる厳かな式だったと覚えています。可愛らしい雄蝶雌蝶の注ぐ三三九度で杯を交わしました。

 

 あれから瞬く間に月日は流れ、互いの容貌も変わり果てました。主人は時折私に

「うちのお母さん、いつ帰って来るの?」などと言います。「母親ですか?奥さんですか?」と聞き返すとやや間を置いてにやりとする事も。

 

 今夜は「俺の母親と父親は二階にいるのか。」と聞きます。もう20年も前に亡くなりましたよ。といっても納得しません。お母さんは幾つ?と聞くと81才かなといいます。

つい吹き出して、「お父さんは今82才だから、生きていたら100才は越えるでしょう。」しばらくしてから、「母親も父親も生きているよ。」そうかそうか、そういうことにしておきましょう。

 

 

 

潮騒を後方(しりえ)に紅き落ち椿

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 10時にセンター南駅に集合して、吟行へ出発しました。行き先は葉山の県立美術館

「白寿記念展堀文子展」です。全員敬老パス利用者なので戸塚までは無料で行けます。

戸塚から久里浜行きに乗り換え逗子駅で下車しました。駅前からバスで三ヶ丘へ向かうのですが、何処で停車するのか不明な上道路は混雑してノロノロ運転で皆不安になり

三ヶ丘というバス亭は未だかとかいう言葉を聞いた近くの乗客が運転手のもとへ行き

確かめて来てくれました。もう少しですと教えてくれて恐縮でした。

 

 無事にバスを降りて、N田さんが予約してくれたレストランへ連絡すると店の人が

迎えに出てくれました。普通の民家で火曜日から金曜日までの営業なのだとか。

店の名前は「engawa」と横文字ですが縁側と言うにふさわしいこじんまりしたお店です。玄関の靴脱ぎから上がってリビングルームがレストランになっているのでした。メニューは3種類でオムライス、ハヤシライス、野菜のせいろ蒸しから選びます。

私達は全員野菜のせいろ蒸しにしました。小鉢のサラダが先に出て来ました。彩り良く

甘いドレッシングと紅い胡椒の実?がつーんと鼻をついてとても美味でした。

野菜のせいろ蒸しも豚肉や生麩、豆腐とキャベツ、大根、パブリカなどをごまだれとポン酢で頂きました。スープと15穀米もつきました。デザートは抹茶のシホンケーキ。

飲み物は、紅茶か珈琲を選びました。紅茶は試験管のようなガラス瓶に入った、カシス、マスカット、ダージリン、など数種の葉の香りを嗅いで選びました。

 私はマスカットを選びました。香りも味もさわやかなマスカットでした。

 

満腹になって、ようやく美術館へ向かいました。平日なのに大勢の観客が入っていました。初期の作品から、年代を追って展示されていて変遷がたどれて興味深く鑑賞できました。初期の頃はゴーギャンを思わせる絵があったり、やがて水彩の岩崎ちひろ風の

絵、さすらいというコーナーの異国風景や人、印象的だったのは徹子の部屋で見かける

「アフガンの王女」の青いドレス。とにかく作品の数の多さに圧倒されました。

 

 入る前は、すぐ見終わるくらいの作品数と考えていたので、驚きでした。会場を出たときは疲労を覚えました。美術館の前は海岸でした。暑いほどの日差しで海面はキラキラ眩しく正面を外して眺めました。左の砂浜の先に御用邸の白い塀が見えました。

 

 美術館の裏手の小径を行くと椿の木が数本あって花が落ちていました。こんな近くに潮騒を聞きながらゆっくり高木の下を歩いているのは夢の中にでもいるような気分に

なりました。

 

 帰りは沿線に火災があったとかでダイヤが乱れていると聞き、京急新逗子駅から

別コースで帰りました。いつも元気なIさんとOさんも初めての吟行を楽しかったと大変喜んでくれました。次の句会が楽しみです。

 

春一番渋々税の申告を

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 雨の音で目が覚めました。今日のデイサービスは中止かなとぐずぐずして朝食の準備が遅くなりました。間もなく雨音がしなくなり、すっかり上がったようでした。

 慌てて主人の着替えをさせました。靴慣らしを兼ねてゴミ出しをしてもらったり、

玄関先に飛んできた木の葉などを掃除してもらいました。そのためか迎えの車にすんなり乗り込んでくれました。

 

 さて時間が出来たところで、パソコンに向かい先延ばしにしていた確定申告書を作成しました。私の加入していた企業年金基金が新会社になって、国の代行していた部分を

返還して国民年金の方に組み入れられて、ちょっとややこしい事になっています。

 それでも昨年度のデータを読み込んで処理したので案外スムースに行きました。珍しく税が戻ります。といってもスズメの涙ですが。今回もマイナンバーは記入せずとも

大丈夫でした。

 

 新年度の会計帳簿類を前年度の分をコピーして、開始しようとしましたがSUMIF関数がエラーになります。毎回年度初めはエラーを直すのに苦労します。

決算書の部分がエラーなので、とりあえず出納帳だけ入力しました。多分シート名を変えるのが原因と思うので今後は出納帳も、決算書もシートには年度を入れないで試してみようと思います。

 

 4時前に主人はデイサービスから帰りました。送ってくれた介護士さんが「今日はゲームを頑張って賞品にトイレットペーパーをもらいましたので鞄に入れておきました。」と鞄を受け取りました。トイレットペーパーは1個でしたが、巻きがしっかりしてずっしりと重く感じました。

主人にはどんなゲームだったのか記憶は残っていません。

幾人も隠し暮るるや二月尽

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 2月のカレンダーも今日が最後です。なんとなくばたばたと日を送ってきた感じです。先月、今月と親しい人が亡くなりました。まだ実感がわきません。

絵の先生も心臓の持病があるので心配しました。昨夜メールで一過性のもので心配ないと連絡があり安心しました。

 

 今朝、届け物があって先生宅を尋ねると顔色が悪いので「今日はゆっくり寝てください。と言うのへこれから出かけるとの返事です。びっくりしました。無理はして欲しく無いのですが、どうしても欠かせない用事のようでした。

 

 午後は書道ボランティアへ行きました。水曜日は他のボランティアさんが都合が悪く私一人でした。職員の人達も忙しそうで手伝ってくれる人はおらず、一人で大忙しでした。今日に限って大勢参加して準備が大変でした。次々と書き終わって新しい用紙を

待っています。途中で止めることなく、熱心な人ばかりで、お八つの時間になるからと

私の方から遮って、お仕舞いにしてもらいました。

 

 筆や硯を洗い終えると3時をまわっていて急いで帰ろうとすると、担当の介護士さんがスポーツドリンクをなみなみと注いでくれました。気がつくと下着がびっしょり濡れていました。水曜コースのボランティアさんを急募してもらわねば、体が持ちそうにないと弱気になります。

他の家の夕餉気になる春灯し

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 早い夕食を済ませて、最後のポスト確認に外へ出てみると、目の前のマンションの屋根越しに以前より多くの人家の灯りが見えます。灯りの数だけ夕餉の食卓を囲む風景があるのでしょう。代わり映えしない我が家の夕食ですが、よそ様の食卓がちょっと気になりました。

 

 今朝は主人に新しい靴を履かせて、迎えの車が来る頃と玄関前の鉢に水遣りをしてもらっていました。案の定中へ戻る前に車が来ました。「お母さんが乗って行きな。」といって乗るまいとします。「お母さんも後から行くから。」と背中を押して車へ乗せました。乗ったら手を振っていました。嫌がる子供を無理矢理行かせるようで切ない気持ちになりました。

 

 絵の教室がある日でしたが先生が昨日から体調が思わしくないので病院へ行く為お休みにすると連絡がありました。先生は胸にステントが入っているので、定期的に診察受けているのですが、世話好きで頼まれ事は嫌と言えない性格で無理をしがちです。

 

 午前中時間が出来たので、新婦人の班会計の決算をしました。新年度の入出金も始まっているので、ちょっと手間取りました。合間にメールを確認するとY下さんからで

支部大会の活動報告の中の「原爆パネル展」について(3分間程)発表して欲しいと依頼されました。昨年の夏のことで、とっさに思い出せず、ブログを読み返して記憶を

呼び戻しました。

 

 そうこうしているうちに、主人が帰る時間になるので、会計監査までに形態を整えれば良いかと、仕事を中断しました。

 

 主人はご機嫌で帰ってきました。運転手さんに「ご苦労様。」と声をかけていました。やれやれ。

五輪閉じ静もる朝の浅蜊汁

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 メダルラッシュに沸いた冬季オリンピックも無事に閉会しました。開催前にはピョンチャンの寒さが心配されましたが、終わってみれば杞憂に過ぎなかったようです。

 

 夏期オリンピックの時も、治安の悪さや伝染病が心配されましたが、たいした事も無かったと記憶しています。当事国はそれなりに対策を講じていると思います。他国が

ああだこうだと口を挟むのはどうかと思います。といっても心配な情報が流れると

どうしても知識が乏しい視聴者は惑わされてしまいます。

 

 雪になるかも知れないと心配していたお天気も外れたようで、風は少々冷たく感じましたが、日光浴を兼ねて書道仲間のOさんに競書を届けに行きました。

Oさんは庭仕事の最中でした。自宅前の道の端にもパンジーや水仙を植えていました。

駐車避けの為だと言います。駐車されて困っていたようです。

 

 第二、第四の月曜日の書道ボランティアは祭日に当たったり、雪の日だったりして

休みになり、今日は久々に他の仲間と顔を合わせました。持参した9条改憲NOの3000万署名用紙に署名の協力をお願いしました。いつも同調してくれる人達

なので多くを言わなくても、すすんで署名をしてもらえます。

 

 仲間のUさんのご主人もデイサービスを利用しているのですが短時間なので12時半には帰宅するそうです。つい最近まで病院で患者さんを診ていたお医者さんです。

誰でも認知症になる可能性があると思うと、恐ろしい気がします。

 

 

 

 

料峭や生花に埋もれ友眠る

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 間もなく新横浜駅という辺りで右手に「新横浜くらしの友葬祭場」の建物が見えました。地図で確認した通りでほっとしました。バスを降りて目的地へ後戻りすれば良いのだと見当をつけて進むと、行き止まりで、またまた後戻りで歩道橋を進みました。

 

 歩道橋を降りて進むもまたまた行き止まり。ならば横浜線の高架下をくぐるのかと思っていると、そちらから来たマスクをした男性が通行中の女性に道を聞いています。「H君?」声をかけるとH君でした。女性の指さす方角に歩道橋が見えました。

 

 どうも私達は建物の裏側に出たようです。駐車場かを通ってやっと入り口に着きました。会場は3階でした。後部の一般席で開式を待ちました。H君の話ではMさんは昨年末に不整脈が出たと言っていたそうです。今まで病気一つしない健康な人だったのに

信じられません。パッチワークが趣味で、以前頂いた手のひらほどのハワイアンキルト

のポーチは大変重宝していて、手芸用の道具類が収納できて何処へでも持ち歩いています。先月その事を話すととても喜んで又何かあげるねと言ってくれました。

 

 初めて会った娘さんはお母さんに良く似ていてすぐ娘さんとわかりました。Mさんは子供の頃から目がとても綺麗な人で昔の面影は今もそのままで年を感じさせない人でした。遺影も優しく微笑んでいました。

 

 お見送りした後H君と食事をしました。H君は民謡を習っていて大会の予選が近いのだけれどMさんの訃報を聞いてから歌うのを止めているそうです。前の大会では南部牛追い歌で6位入賞だったそうです。5位が2名だったので年齢の上の人が上位になったそうです。従兄弟でも異性ということもあってつきあいも薄い方だったので互いの事を

あまり知らないのです。

 

 夕方H君から電話で、田舎の同期会の世話役のNさんに今日の事を伝えたら、Mさんの

亡くなった事を知っていたそうです。私が知りたかった田舎の事も聞いてくれていました。私が主人の事があって出かけられないと知って、面倒を見るから一緒につれておいでと言ってくれたそうです。その旨を主人に話して一緒に行くか聞いたところ「嫌だ」

とにべもない返事でした。