炎天下柱の影に身を重ね
土曜日は病院の循環バスは午前中で終わるので、午前中に見舞いに出かけました。
最寄りのバス亭はかんかん照りつけるところなので、皆時間ぎりぎりに来ます。私は2番目でしたが、幸い電柱の影が当たるところが開いていました。
電柱の後ろに立って凌ぎました。一番目に来ていたのは老人会の世話役のO沢さんでした。毎朝自治会館の庭を石庭の如く塵一つ無く掃き清めています。カラオケや歩こう会などの世話役を長年勤めておられます。今日は珍しく一人でのお出かけでした。
今日も沖縄名産店の前のベンチで時間待ちをしました。暫くするとお店の人が紙切れを貼りました。「本日最終日」えっ、閉店なのか、沖縄以外の売り場になるのかわかりません。海ぶどうという商品が気になっていましたが、買いそびれました。これまで
お店をながめていましたが、何人も店内の商品を物色するのですが購買まではなかなか
結びつきません。商売も大変だなと思います。
病室に行くと主人は足を持てあますように組んでみたり手すりに乗せようとしたり
します。トイレに行きたがります。リハビリの人が来て車椅子に移りました。酸素ボンベも車に積み、点滴やら体に着いた計器類など多く、準備は大変です。
ホールまでついて行き、一時休憩は私が側にいました。高齢のおじいさんもリハビリ中で、年を聞かれて94才と答えていました。歩行器で右、左と足を出し次は歩行器
を出すのです。歩行器を遠くに出し過ぎて、やりなおしします。主人より10才も年上なのに、リハビリに励んでいます。快復が早そうです。
昨日より半分ぐらい歩いて血圧を測ると低くなったと言うので、ベッドの部屋に戻りました。主治医のY先生からは心臓の方も良くなってきているがお腹の方の通りがまだ
良くないので食事は様子見との事です。
12時20分の最終便で帰りました。