亡き夫の齢は増えず実万両

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 今日は亡き夫の誕生日です。元気なら83才になります。
昨年1月からデイケアサービスに通い始めて、2月には誕生会をしてもらい
介護士さんと一緒に記念写真を撮って、花束を貰いご機嫌に帰ってきました。
その時のバラの花はドライにして取ってあります。

 

 元気だった頃は酒好きの主人にちょっと高価なタンブラーをプレゼントしました。
氷がグラスに当たるといい音がしてお気に入りでした。お茶を飲むにもグラスの口当たりが気に入っていて同じグラスで飲みました。

 

 長い間には割れてしまって、同じ物を捜してプレゼントしました。10年前に足の大動脈閉塞症になって断酒してからは、いつの間にかグラスを口にしなくなりました。
10年もお酒を飲んでいなかったのに、記憶が薄れてからはたまに、台所でうろうろして
酒を捜していることがありました。

 

 お酒は止めたので有りませんよと、いうと怪訝な様子でしたがそれ以上は欲しがりませんでした。こんなに早く亡くなるのなら飲ませてあげれば良かったと悔やまれます。

 

一月の終わりの今宵独り飯

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  今年最初の月は今日でお仕舞い。ここからはまた駆け足で時間は
過ぎていきます。主人が逝ってから半年になります。明日は83才の誕生日の筈でした。

 

 半年経って主人の居ない生活に慣れてきたようにも思いますが、それでも
あの時斯うすれば、ああすれば良かったと悔やむ事が繰り返し思い出されます。
いやいやと首を振って、どうにもならないことは思うまいと言い聞かせます。

 

 昨日俳優の柄本明氏が夫人のお別れ会で話していました。「いっぱい食べています。
いっぱい寝るようにしています。」というような事を。あ、私と同じだと思いました。
以前よりも栄養に気を付けて、夜も早めに就寝して元気でいようと自分に言い聞かせています。

 

 今夜の鯖の醤油づけの焼き物は脂がのっていて美味しく食べました。

 

有り難く味噌汁啜る白泉忌

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  午前中は書道の二月号の課題に取り組みました。暖房の部屋は墨の濃度を一定にするのが難しく、今日も満足な清書が出来ませんでした。
書道の日に、もう一度挑戦しようと、そこそこの出来でお仕舞いにしました。

 

 思ったほど寒くないので、新聞を配りに出ました。坂の途中のお宅の庭の梅の木
に白梅が咲いていました。一回りして坂を下りH先生宅へ向かうと先生は出かけるところで私には気がつかず携帯を耳にあてて歩いて遠ざかっていきました。

 

 歳時記の忌日を見ていたら今日30日は渡辺白泉の忌日でした。恥ずかしながら白泉の名は初めて知りました。「戦争が廊下の奥に立っていた」と代表作が載っていました。季語がありません。季語のある俳句もありますが無季俳句を多く作っていたようです。

 

 「マリの住む地球に原爆などあるな」がーんと一発強烈な衝撃を受けました。

 戦後生まれで、田舎育ちの私。空爆も食糧難も知りません。一人の夕食は
わびしいけれど、熱々の味噌汁をすすりテレビを見ている平和な暮らしが
贅沢に思えます。

世話焼きの妣に倣ひて蜜柑煮る

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    今月の産直フルーツは何種類かの柑橘類が届きました。皮も捨てるには惜しいので
ポンカンでマーマレードを作りました。煮ながら昔母は風邪をひくと蜜柑やりんごを
皮ごと煮ていたのを思い出しました。

 会社の寮生の賄いをしていた事がありましたが、よく風邪をひく男子がいて
その度に煮た果物を食べさせていました。山梨出身のその男子は「すいー、酸いー」
と言いながら食べさせられていましたっけ。寮生の中に沖縄出身の男子がいて偏食が
激しく、何なら食べられるかと聞くと黒砂糖と答えて、黒砂糖を出してやると
ご飯に掛けて食べたのには驚きました。

 若い頃の彼らの顔を思い出しましたが、今頃はどんな親父、いやおじいさんに
なっていることやら。

 

 支部の化粧品販促の額が不足しているようなので、少し協力しようと手持ちの

化粧品の中で切れそうな物を確認して、メイキャップベースとパウダリーファンデーションを、夕方新聞を届けてくれたM崎さんに言付けました。

 

 見送りに外へ出ると強風が吹いていました。こんな中活動しているM崎さん達には

頭が下がります。

マスクして目に愛嬌のボランティア

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 今日こそはと、吹き矢の筒を入れる袋を縫いました。テーブルクロスの余り布
で充分の寸法が取れました。ミシンを出すのは面倒なのでちくちく手縫いで作りました。ピンクに白い小花模様で年に似合わないかも知れませんが厚顔な私です。

平気平気。

 

 午後は月曜コースの書道ボランティアでした。今年初めて会うボランティアさん達で
良かった~と皆さんホッとされていました。出がけに豆腐屋さんが来たので、いつもより少し遅れて行ったためでした。

 テーブルを一つ減らしたようで、席に着けない利用者さんも居て、先の人が書き終わるのを待つ人も出る状態でした。4人のボランティアで大忙しでした。

 

ボランティア終了後、持参した署名用紙に署名の協力をお願いしました。「最も適した教科書で子供達が学ぶための署名」です。横浜市教育長宛のものです。横浜市では教育委員が幾つかの出版社が出している本の中から選んでいます。

 

 県内のほとんどの教育委員会は全学校の教員の意見を聞いた上で教科書を選んでいるようですが横浜市の小中学校は教師の意見をくみ上げていないので、問題のある教科書が選ばれたりします。

 

要請項目は「各学校の教員の意見が反映されるように改善して下さい。」というものです。皆さん快く署名してくれました。

雨情忌や亡夫歌ひし童歌

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 昨夜は全豪オープンテニスで大阪なおみ選手が優勝し、ファンは喜びに
沸きました。今日も朝から各局で繰り返し報道しています。
インタヴューではメンタルが3才だったが一日1才成長して決勝の時は5才かな。とお茶目な所も見せていました。

 

 今日は野口雨情の忌日です。私の年代ではほとんどの人が口ずさんだ童謡を作りました。七つの子、十五夜お月さん、赤い靴、シャボン玉等々。

 

 夫は手術後、喉の管から点滴をしていたためか、仰向けに寝ると口を大きく開けたままでした。発音も明瞭ではなく聞き取りにくい状態でした。ある時声の調子が歌うように聞こえて耳を近づけると「シャボン玉とんだ、屋根まで飛んだ・・・」と歌っていました。天井に何か見えたのでしょうか。私も一緒に歌うと大きな声を出して歌いました。

 

 シャボン玉の歌を聴く度にあの日の情景が思い出されることでしょう。

 

法螺貝の音も懐かし寒梅忌

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   夕方雨戸を閉めようとすると西の空は沈む夕陽で赤いのに戸を開けたとたん
風がぴゅーっと吹き付けてきました。佐渡の義妹のメールでは雪が降っているとの事です。まだ横浜は雪が降っていません。

 

 今日26日は藤沢周平の寒梅忌だと言うことを昨日の新聞で知りました。20年ほど前にネットのオフ会で山形へ旅行した時に記念館の前を通った記憶があります。当時はそれほど藤沢作品を知りませんでした。しばらくしてから、ドラマで「蝉時雨」などの時代物を見て小説も手に取りました。

 

 あの時にもっと知っていたらと残念です。羽黒山で山伏の法螺貝を吹いてみたら音が出て驚いたり、即身仏のお寺のトイレに入っていて電気を消されて怖かった事、旅館の食事の品数の多かった事など思い出されます。

 

 私はここ数年ネットのお友達にはすっかりご無沙汰しています。みなさんフェイスブックで交流しているようですが、私には時間的余裕が無く未だにフェイスブックはしていません。皆さんそれぞれお元気に過ごされていることでしょう。