桜餅九十路の姉の頬緩む  遊々

3月7日は姉の90歳の誕生日です。

7日は私の都合が悪いので、急遽5日の日曜日に品川の姉のところに行きました。品川へは3年ぶりでした。駅構内は床に各線への道案内が縦横に引かれていて頭が混乱しました。

 

今までの感で多分こっちが出口と見当をつけました。話には聞いていましたがエスカレーターをおりた辺りの店も消え、外へ出て右手にあったパチンコ店も消えていました。

 

線路沿いは塀で覆われています。手術後1年経過の腰の調子は上々で姉の所まで楽に歩けました。

 

外食と思いましたが、ゆっくりおしゃべりをした方が良いかと、幕の内風のお弁当

をコンビニで調達して行きました。デザートには桜餅パフェ。

 

次から次へと話は弾みました。コロナで入学式も出来なかった学生達も卒業になり勉強がろくに出来なかったという話から、姉の女学生時代の話に及びました。

 

勉強などなく、勤労奉仕で戦地に送る馬の餌になる草を刈ったり干したりしたそうです。

ある時、縄を両手いっぱい2回開いた長さ分持って来るように言われて、持って行ったところ綺麗な編み目の市販の縄だったのでこれは駄目だと叱られたと言います。

 

父がこんな事で怒られるのか!と言って仕方なく藁で縄をなってくれたのだそうです。

 

夕方は雨になるとの予報なので早めに話を切り上げて姉宅を後にしました。

高輪ゲートウェイから乗ってみる?と言われたのですが、やはり慣れた品川駅へ向いました。

 

京浜急行乗り場4番線ホームで入って来た電車に乗ると、次は高輪ゲートウェイとのアナウンスが!!ありゃ~。

 

高輪ゲートウェイのホームはがらんとだだっ広い感じで人影もまばらで心細くなりました。でも図らずも新駅をちょっとの間覗くことが出来ました。

 

夜、姉から電話で私が持っていった塩鮭の粕煮を食べたら美味しかったと報告がありました。母が冬になると良く作ってくれた粕煮です。姉が喜ぶかとスーパーで酒粕を探して買って来て中塩の鮭と煮たのですが、中々味が決まりません。

 

昔は塩引き鮭で作ったので辛みが違うのです。塩だけでは物足りず、みりんや味噌や醤油を少しずつ混ぜて溶いて見ました。鮭の身はざっくりほぐれるように弱火で煮ました。

 

味のうるさい姉の口に合って良かったと一安心です。