8/18 最寄りのバス停横の空き地は年に数回草を刈るようですが、直ぐに草の丈がのびて叢になります。バス待ちの間太陽に背を向けるとどうしても草むらを眺めることになります。
ふと目の前の草を見ると草の色に紛れて大きな殿様バッタがじっとして草に止っていました。ことらも退屈なので観察をつづけました。折りたたんだ前足をそーっと伸ばして
隣の葉を足先のぎざぎざで捕らえて葉の裏側へ移りました。
皮膚科の二回目の診察で、皮膚の赤味がほとんど消えて痒みも少なくなったので、軟膏の種類を一段弱い薬に変わりました。皮膚の浅いところと深い所の二種類の病気が起きているのだとか。まだ慎重に治療する必要があるそうです。
病院の帰りに、今朝LINEでN田さんがコロナに感染して熱が38度以上あると聞いていたので、こんな時何が喉を通るかなとスーパーでみかんを見つけたので、彼女の家の
玄関前にみかんとカステラの入った袋を置いて来ました。
遡って 8/14 台風の余波で天候が思わしくない中、原爆パネル展へ行くのにN田さんの車でと誘われましたが、駐車場のこととか、N田さんひとりの方が自由で良いかなと
断り、バスで向いました。
区役所のロビー一面全部使用出来るので、被爆者の話を元に高校生が描いた絵を展示する方と、写真のパネルを展示する方とに別れて作業しました。倉庫からパネルを運んだり力仕事は助っ人の男性に頼みました。
設置途中から足を止めて展示物を眺める人も多くいました。すべて完了したのは昼近くでした。数人で近くの「オリンピック」で昼食を取りました。N田さんは駐車場へ行くと雨が降り出し、スマホも忘れたので私達に連絡が取れないまま帰宅したとの事でした。
というわけで、N田さんとは接触する事が少なかったので、感染を免れたようです。
8/22 委員会の例会は暑いのでグループビデオ通話で行いました。が次第に声が途絶えたり画像が固まったりとなかなか思うようには進みませんでした。終了後トークでの
書き込みで補う必要がありました。
8/24 電話の受信音がして直ぐ切れたので表示を見ると姉からでした。かけてから思い直して切ったようです。行きつけの病院内で足がもたつき転んだところ開いたドアの足元の金具のような所に額を打ち付けて血が出たようです。
内科なので看護士さんが外科へと近くの病院を当るも、休診で、救急車を呼ぶも繋がらず、姉の家の近くの病院が看てくれる事になり、看護士さんが姉の額の血を止めるタオルを押さえながら一緒に病院に付き添ってくれたそうです。
髪の生え際近くの傷を縫ったのですがホチキスでパチンパチンと9回針で押さえたようです。麻酔無しで痛かったといいます。幸い頭の中は無事のようでした。怪我以外に体調は良いようで安心しました。全く何が起きるかわかりません。
8/25 3回目の皮膚科 軟膏が更に弱い薬になり次回は2週間後になりました。
9月の班会の行事が未定のままだったので、グループLINEで候補を募集して
あがった候補地の投票をして結果を班ニュースで知らせるというのですが、班ニュース印刷に間に合うようにと急ぐあまりに内容をよく検討出来ていないので、絞るのは困難
ではないかと、夜も数人でグループ通話で話し合いました。
候補は、防災センター体験ツアー 牧野富太郎植物園 長沢の丘母子像前祭り 野毛山動物園
暑さもあって、頭が働きません。